
フランシスコ・デ・ゴヤ
狂渦

《フランシスコ・デ・ゴヤの狂気》
恐ろしい絵で知られる画家がいる。19世紀スペインの代表的な宮廷画家である、フランシスコ・デ・ゴヤだ。
画家として大きな成功を収めていたゴヤは、ある日突然、別荘に閉じこもって出てこなくなった。
そして、ゴヤはその家に籠り、狂ったように恐ろしい絵を描き続けた。それらの絵はまとめて『黒い絵』と呼ばれる。
一体、ゴヤの身に何が起こったのか?
ゴヤの身に起きた三つの悪夢と、『黒い絵』の代表作『我が子を食らうサトゥルヌス』に秘められた狂気を知ることで、私たちの生きるこの世界の狂気に迫る。
《ゴヤを襲った悪夢》
フランシスコ・デ・ゴヤは、当時のスペインで最も成功した画家の一人だった。
しかし、そんな彼は突如として表舞台から姿を消し、別荘で一人恐ろしい絵を描いた。
実は、その背景にはゴヤを襲った三つの悪夢の存在があった。
一つ目の悪夢、それは政治だ。
ナポレオン戦争が終結した後のスペインで1814年に国王に復位したフェルナンド7世は、絶対王政を復活させた。
彼が行ったのが、啓蒙主義者や自由主義者の弾圧。当時、啓蒙思想家としても名を知られていたゴヤは、自身もいつ投獄され、処刑されるかもわからない状況の下、計り知れない恐怖を感じていた。
そして、絶対王政の重圧に耐えられなくなったゴヤはついにフランスへの亡命を余儀なくされた。

二つ目の悪夢、それは戦争だ。
当時のスペインに血の雨を降らせたスペイン独立戦争は、その頃には終結していたのだが、スペイン国内では自由主義派と絶対王政派の対立がいまだに続いていた。
終わることのない武力衝突、暗殺の数々。ゴヤは、不安定さを払拭できない社会の中で、終わることのない不信感と恐怖を抱えながら生きていた。
そして三つ目の悪夢、病だ。
1793年、ゴヤは重い病を患い聴覚を完全に失ってしまった。
人々との交流を避けるようになり、孤独に向かったゴヤの精神は徐々に絶望に蝕まれ始めていた。
それから約二十年後の1812年に妻のホセファを亡くしたゴヤだったが、1819年、ゴヤは再び重い病に倒れる。
生死を彷徨うほどの病の経験がゴヤに植え付けたのは、己の肉体の衰退、加速する老い、そして着実に近づく死の影への実感だ。
これらの悪夢に襲われたゴヤは、残酷な現実に耐えることができなくなり、別荘から出てこなくなってしまったのだ。
《世にも恐ろしいサトゥルヌスの神話》
さて、彼の描いた『黒い絵』の中に、『我が子を食らうサトゥルヌス』という有名な絵がある。
この絵に描かれているのは、ローマ神話に登場するサトゥルヌスという神だ。ギリシャ神話ではクロノスという名で登場するこの神には、実は恐ろしい話がある。
ある時、クロノスは、父であるウーラノスを倒して神々の王となった。
その時、クロノスは父からこう告げられた。「将来、お前も自分の子供に王位を奪われるだろう」と。
クロノスはこの予言に恐れおののいた。そして、彼は妻との間に子供が生まれる度に、その子を次々に飲み込んでいったのだ。

《サトゥルヌスの絵が象徴するこの世界の狂気》
さて、それではゴヤはなぜ、この絵を描いたのだろうか?
それは、ゴヤが自身を襲った数々の悪夢を表現しようとしたからだ。彼は、そのためにサトゥルヌスを描いた。
では、ゴヤの目には、サトゥルヌスの姿は一体どのように映っていたのだろうか…
このサトゥルヌスは政治だ。狂気に満ちた絶対王政が、自由な思想を持つ人々を食い荒らしている。
このサトゥルヌスは戦争だ。狂気に満ちた戦争が、無実の人々を意味もなく食い荒らしている。
このサトゥルヌスは病だ。狂気に等しく恐ろしい病が、ゴヤの身体を内側から食い散らかしている。
このサトゥルヌスはゴヤ自身だ。世界のあらゆる悪夢に精神を冒されたゴヤが、自分自身の心を蝕んでいる。
ゴヤはこのようなことを思いながら、この恐ろしいサトゥルヌスの姿を描いたに違いない。
ところで、この絵が描かれたのは200年以上前のことだ。
それでは、私たちの生きるこの世界において政治は私たちの味方になっただろうか?戦争はなくなっただろうか?病に苦しむ人はいなくなっただろうか?
ゴヤが感じた苦しみは、今の私たちの苦しみでもあるのだ。
ゴヤの描いたこの恐ろしい絵は、私たちの見えない場所で今もなお起こっている悪夢の存在を教えてくれる。
フランシスコ・デ・ゴヤ。200年前に彼が残した絵は、今の世界において最も重要な意味を持つ絵の一つだ。
Today’s painter
フランシスコ・デ・ゴヤ
1746年、スペインに生まれる。19世紀スペインを代表する宮廷画家の一人。現実を禍々しく描く点が特徴。代表作は、『カルロス4世の家族』、『1808年5月3日、マドリード』など。
※無断での複製・転用を固く禁じます。

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